清原慶子・三鷹市長へのメッセージ

■三浦仁士(作業所職員/大学院生/足立区在住)
 三鷹駅前コミュニティーセンター料理講習室使用拒否問題は、「夜まわり三鷹」が「野宿者支援団体とわかった」ということから始まった。三鷹市は、この発言を注視すべきだろう。何もその発言のみを取り上げ管理運営団体を指弾したいのではない。この問題の根っこにあることを明らかにし真摯に話し合わない限り、管理運営団体は如何様にも利用拒否の理由をつけてくるからである。公共施設の使用資格に対し、管理運営団体が恣意的な判断理由で欠格をつくることがあってはならないはずだ。三鷹市は、それを承知で委託したのではないのか。この問題が起こって以来、すでに半年以上が経過しているのに、何の進展もみられないのは、市の怠慢ではないか。三鷹市は公共施設の使用拒否によって不利益を受けているのは、誰なのか、どこなのか、しっかりと認識すべきである。
 青少年が、ホームレスに暴行し殺害するという事件が報道される。こうした残忍さは子供達の心にだけ突然芽生えたものなのですか?大人たちの差別や偏見が子供達の心に転化したのではないですか。

■攝津正(あらゆるアソシエーショニストのための広場編集/芸音ホール代表/船橋市在住)
 野宿者排除に反対します。

■田中雅子(ネパール在住)
 行政側の速やかな事態の収拾を求めるとともに、共に生きるための活動を応援します。

■竹林隆(大阪教育合同労働組合書記長) 公表可
 大阪では今年になって、長年住んでいた野宿労働者たちが公園から暴力的に叩き出されるという事態が起きました。三鷹でのこの動きも、根底に、地域から野宿者を締め出そうという差別と排除の構造の一環に他なりません。こんな差別は許せません。

■金靖郎(団体職員、神奈川県在住)
 こんなひどいことが許されてはなりません。差別排外主義以外のなにものでもありません。地域社会には様々な人がいるのが当たり前だし、多様性を認めない、排除する社会に未来はないです。共に声を上げたいと思います。

■齋藤星耕(大学院生・京都)
 理解しようという姿勢のない側が、立場の弱い人々に対して「相互理解」を要求するというのは一体どういうことでしょうか。野宿者と支援者が一方的に排除されることで保たれる「信頼関係」とはなんなのでしょうか。言葉とその中身のあまりの乖離に、同じ人間なのにどうしてこうなのかと腹立たしく、悲しくなります。それでも、丁寧な話し合いのプロセスを踏んできた夜まわり三鷹のみなさまの努力と忍耐に頭が下がる思いがします。私は何も出来ませんが、要望書に名前を連ねさせていただきたく思います。

■竹内彰一(向日葵同盟)
 居宅住民の選民意識が事件を起こしている。このような差別意識は、行政の教育的指導によって、なくしていかなければならないでしょう。
 日本国は、憲法の博愛と平等の精神に則って運営されるものであるから、三鷹市行政の姿勢は間違っているし、三鷹駅周辺住民協議会は、公共施設の管理・使用には相応しくない団体であると言える。

■藤井克彦(ソーシャルワーカー
 規則を守ると行っている団体の使用を認めないことは全く理解できません。
 使用を認めない理由が次々に変わっているのは、それらに正当な根拠がなく、差別に基づいたものであることを示しています。
 早く使用を認めるべきです。

■津村洋(海外派兵をやめろ!戦争抵抗者の会)
 公共の施設はみなが利用するためにあり、いかなる選別や排除も許されない。

■二見孝一(みどりのテーブル・くまもと)
 三鷹市の対応は明らかな人権侵害です。
 明確な理由なしに公共施設の使用を許可しないのは、市長の人権意識の欠如としかいいようがありません。
 野宿者支援団体のコミュニティセンター利用については、拒否すべきではありません。
人が人として生きられる三鷹市となってください。

■だるま森+えりこ(ハルオン楽舎=人形芝居・絵本・楽器・お教室、三鷹市在住)
 どうして皆さん、
 御自分がいつ同じような立場=何らかの難民=に追い込まれるか
 わからないではありませんか?

 その時貴方は見捨てられても良いのですか?

 なんて冷たい社会でしょうか。

 人の痛みを想像する感性に欠ける仕業ですね。
 平和を宣言する地方都市三鷹に矛盾する行為ですね。
 平和は野宿者のような弱者以外に保障されるのでしょうか?
 そのような明記はどこにもありませんし、
 弱者差別は子どもの教育と成長を、最も阻むものだと思います。
 文書にしないことも、筋の通らない、大変矛盾した行為だと思います。
   
 そのような差別は、子どもたちに対しても、
 恥ずかしくありませんか?

 助けて上げられる立場の時は助けてあげましょうよ!
 そして自分が困ったら、助けてもらいましょうよ!

 勝ち組負け組の価値観で、本当に貴方は大丈夫ですか?
 そんな価値観が、益々世の中を住み難いものにして、挙句は、子どもたちが安心して育ち難い、地域性に欠ける社会を強固に構築して行く。

 知り合い同士、利害の一致する者同士だけを守り合う社会は空しくありませんか?
 それは憎しみや逆恨みを見出し易い環境を助長します。
 であれば、それに対抗し身を守る為に、
 いつかこの日本は、
 アメリカのように皆が武器を容認する社会になってしまうのではと危惧します。
 
 団体は、調理室を清潔に保つと宣言しています。
 その指導のみをすれば良いだけのことではないでしょうか?
 そうやって直接コミュニケーションして頂けば、
 お互い理解を深め合うチャンスにもなりますし。

 相互理解を望みます。
 少なくとも、団体側は望んでいます。
 どうか一度先入観を捨てて、同じ席に御付きになって下さいませんか。
 そこから始めようではありませんか。

佐久間誠国労闘争団、鉄建公団訴訟原告団事務局長)
 憲法25条では、国民は等しく健康で文化的な生活を営むことができることを保障している。野宿者支援団体の「夜まわり三鷹」の活動は、野宿者の自立支援活動をサポートするものであり、公共の設備をそうしたことに役立てることに、何の異をはさむ余地があろうか?
 本来、三鷹市が、放置されている野宿者に対し、行政主導でもっと援助し手を差し伸べる主体とならなければならないものである。
 「夜まわり三鷹」に対して、三鷹駅前コミュニティセンター料理講習室の使用を拒否せず、認可するよう求めます。

■中桐康介(長居公園仲間の会)
 「三鷹市の野宿者差別は許せないことです。地域は離れていても、けっして他人ごととは思えません。野宿者であれ何者であれ、ひとりの人間として尊重される社会を築くため、三鷹市の努力を求めます。
 三鷹駅周辺住民協議会は「住民登録をしていない野宿者は市民ではない」として、野宿者の市民としての権利を否定しています。ですが、野宿者が住民登録をできないのは制度の運用の誤りによるものです。税金を納めることも、年金を受け取ることも、図書館で本を借りることもできないのは、野宿者個人の責任ではなく、行政におおきな責任があります。
 三鷹駅周辺住民協議会はまず、制度の上での差別・社会的排除をすすめるような言動をあらためるべきです。また三鷹市は、このような地域住民の差別を生み出しているのは三鷹市であり、その責任は重大だということを知るべきです。そして野宿者への差別や偏見をなくしていくための努力を、野宿当事者や支援者と協同しながらすすめることを求めます。それを三鷹駅前コミュニティセンター料理講習室の使用を認めることから始めてください。」

■小田原 琳(調布市在住)
 国や県など予算規模の大きな自治体と異なり、市町村レベルで野宿者問題に対応するにあたっては、市民団体との協力が不可欠と思われます。野宿者の社会復帰を積極的に支援する活動の一環である「夜まわり三鷹」の料理&食事会に、曖昧な理由で公共施設の利用を拒否することは、野宿者問題への取り組みの努力の否定であり、野宿者の人権の軽視です。三鷹市は野宿者支援団体によるコミュニティセンターの使用申請を即刻受理し、多摩地域にあって人権問題に積極的に取り組む自治体であってほしいと思います。

■甘糟智子(小金井市在住)
 状況を読むとあまりにもコメントが色々浮かぶのですが、
(1)セクシストな発言であることを承知であえて書くと、歴史的に社会的弱者である女性性であるにも関わらず、清原市長にはそんな自覚さえまったくないようで、「弱者に優しい豊かな社会づくり」どころか、「弱者排除の地域づくり」とはなんぞや、と呆れます。同じ女性として、他人の立場に鈍感な女性が自治体長をされていることに驚きと悲しさを感じます。
(2)寝袋が汚いなどというケチをつけるならば、自力で新しい寝袋を調達できない人たちのために、無償クリーニングサービスを提供する、新しい寝袋を調達する、野宿者の人が通所して生活まわりのことをできる場所を提供する、などするのが現代の「豊かな行政」や「豊かな地域社会」の「役割」ではないですか。三鷹駅周辺住協の方々や清原市長は、ご自分たちは野宿者や障がい者になることなど絶対にありえない、ご自分たちは野宿者の人たちとは「人間の種類が違う」などと考えておられませんか。行政や住協、施設の担当者の方々の回答のはしばしにそうした「差別感」のあらわれを感じます。戦後日本が培ってきた「人間はみな平等である」という普遍的価値観とは真反対の線引き・差別教育さえ、三鷹市ではされるのではないかと危惧します。
(3)”三鷹駅周辺住協は「住民基本台帳に登録していない人は三鷹市民ではない。そのような人の使用を認めれば、コミュニティが崩壊する」”−という見解も驚きます。公共施設で開催するイベントや集まりやお祭りには、住民基本台帳に記載している三鷹市民しか参加できないのですか? 公共施設には、HPなどでの呼びかけはおろか、遠くの親戚や友人さえも呼べないのですか。「閉じこもりコミュニティ」は、周りとのつながりや共感を失い、もっと大きな社会や時代と切り離された、偏狭な地域社会になりがちです。近隣の市にそうした偏狭なコミュニティにはなってもらいたくありません。

■長谷川みちこ(図書館員/反戦路上文庫)
 夜回り三鷹だけが、はっきりした理由を告げられずに公共の施設を利用できないのであれば、それは明らかな野宿者差別で人権侵害だと思います。
 野宿者に対する偏見の多くは、野宿を自己責任の範囲でしか扱わない、野宿者を犯罪者もしくは犯罪予備軍とみなすなどです。そういった無知に起因する差別は一般市民と野宿者の接点が少なく、一般市民側が野宿者の困難を理解する機会が極端に少ないせいでなかなか解消されないのかもしれませんが、三鷹コミュニティセンターの調理室を共有することが、ディスコミュニケーションを回復する場になり得たと思うと、今回のように野宿者が抱える問題を野宿者自身の問題と片付ける偏見に基づいて、調理室が利用できなくなっているは本当に残念でなりません。
 すみやかに、調理室の使用を再開させてください。
 公共施設から締め出すことでは何の解決にもなりません。

■岩田圭司(社会福祉士
 一方的かつ明確な理由も示さないこのような閉め出しは、「野宿者イコール不衛生」という偏見に基づくものとの疑いを免れず、また野宿者を地域社会のメンバーシップから排除しようとする姿勢の、露骨な体現だと言わざるを得ません。
 施設管理団体である三鷹駅周辺住民協議会は、十分な話し合z に応じた上、施設の利用を認めてください。また三鷹市は、手をこまねいていることなく、重大な人権問題として同協議会を指導してください。

■谷島光治(三鷹市在住)
 清原市長をはじめ、三鷹の市政を担当する人たちは、「市民に対して開かれた民主的な市政」を標榜していますが、実際は今の市政の方向を支持し、協力する市民だけを尊重し、その他の市民を切り捨てている事に気づいていません。今回の問題もその一つのあらわれです。

■池田亜希子(元TBSラジオ 954情報キャスター、江戸川区西葛西在住)
 取材をさせていただいたことがありますが、皆さん楽しく活動されていました。
 地域の主婦たちが教室を借りて料理教室などを開くのとなんら違いはありません。
 始まったばかりのこの活動の芽を摘まないで欲しいと思っています。

■菊地謙(協同総合研究所)
 たとえ管理を委託されている住民団体であったとしても、法律や条例によらず一部の人々によって公共施設の使用が恣意的に許可されないということがあるとすれば、それはもはや「公共」の「私物化」です。ましてや、野宿者の支援団体だけを狙い撃ち的に拒否するのであれば、まさに「差別」と批判されても仕方のないものと思います。すみやかに使用をを認めるよう三鷹市に要望します。

■齊藤幹(愛知県司法書士会)
 田舎ならともかく、東京の三鷹でもこんな事があるなんて驚きです。
 ニートは問題になっても、ホームレス関係はなかなか問題視されないなぁと思っています。
 今回の問題も含め、日本の中では人権に関する意識が非常に薄いと考えています。
 原因は、法律家が少ないことと、泣き寝入りする人が多いこと。
 裁判例も消極例が多い気がします。
 これを変えて行かなければいけないですね。

■出口綾子(寿支援者交流会/書籍編集者)
 事実経過を読み、とても悲しくなりました。いまだにこんなレベルのことを言ってくる行政があるのかと思うと。こういうことの積み重ねが、社会を暗くしていくのです。市長みずからが排除の論理を率先しているのですから、三鷹に住んでいる人は、ほんとうには幸せにはなれませんね。

■山崎克明(北九州大学名誉教授/北九州NPO研究交流会代表)
 憲法、ホームレス自立支援法の精神からも、野宿者の人格の尊厳性(人権)を認めないことに通じるいかなる行政措置も認めるわけには行きません。地域住民の御理解を切に祈ります。

■ 匿名希望
 市民が公共施設を利用しながら交流を深めることは昔からある「行政と市民とのパートナーシップ」の重要な一形態です。それを市長自ら否定されることは許されるはずがありません。

■真木田史緒(三鷹市在住)
 住民協議会は自分たちが公共施設を私物化しているとしか見られないのだと知るべきでしょう。市側も公共とは何かを住協に示すべきです。

■山口文和(三鷹市在住)
 差別・偏見を無くすことに努めなければならない行政としての責務を放棄することは許されません。直ちに使用を許可した上で、野宿生活者に対する差別を無くすべく啓発活動に取り組むよう要望します。

■菊地謙(協同総合研究所)
メッセージ:たとえ管理を委託されている住民団体であったとしても、法律や条例によらず一部の人々によって公共施設の使用が恣意的に許可されないということがあるとすれば、それはもはや「公共」の「私物化」です。ましてや、野宿者の支援団体だけを狙い撃ち的に拒否するのであれば、まさに「差別」と批判されても仕方のないものと思います。すみやかに使用をを認めるよう三鷹市に要望します。

■岩橋誠治(出会いを求める一般市民)
 今回毎日新聞を読んで、家族一同驚きと怒りを覚えています。
 そもそもコミセンは地域のコミュニティーセンターとして出会いを求める場です。
 出会いとは何でしょうか?同じ地域に住む人との出会いもあるでしょう。地域の様々な課題とであうこともあれば、異文化交流・マイノリティーとの人たちとの出会いもあると思います。
 コミセンに行けば、様々な人が様々な関心を持って生き生きと暮らしていることを感じ、例え自らが個々の会に参加しなくても、いろんな人がいろんなことをやっているそのエネルギーを感じ取れる場だと思っています。
 新しい人との出会いや出来事に出会える場のコミセンがあることで、自らの見識を広げ主体的な生活を送るきっかけをコミセンがいつも与えてくれている思っています。
 しかし、今回の出来事はその出会いを閉ざしてしまう出来事です。
三鷹市は、自分たちの許容範囲の中だけでの出会いを保障する場としてコミセンを作っていたのかと思うと、そんなコミセンにワクワクしていた自分が情けなく思うのと同時に、知らないところで出会えなくさせていた三鷹市に怒りを覚えます。
 「野宿者は汚い」というのは、主観的で相対的なものですから、そのような感覚を持つ人がいること自体は(悲しいけど)否定できません。
 でも、それは決して排除されるものではなく、そう思うなら逆に出会うことで新たな思いや関係が生まれてくると思います。
 私の町も新しくできた町なので、野宿する人を見かけることはありません。でも、全国にはそのよう暮らしをしている人がたくさんいることを知ると、その人たちに出会いたくなり、遠くの町まで出掛けて言ったこともあります。
 その出会いは、スポット的でお互いの日常空間を共有しない出会いでしかなく、遠くへ出掛ける事が負担となり最近は残念ながらその機会を逸しています。
 でも、今回三鷹でこのような取り組みを行っている団体があることを知り、コミセンを通じて、日常的に出会える場が存在していることをうれしく思いました。
 だから、決して排除するのではなくて出会いの場であるコミセンが率先して地域の人たちとの出会いを求めていって欲しいと願っています。

■秋本陽子(翻訳業/中野区在住)
「これは野宿者の社会復帰を応援するためのささやかな試みです。
それなのに、公共施設を貸さないなんて、なんてひどい自治体なのでしょう。」

■山口弘宣(三鷹市下連雀在住)
 三鷹市は共働をスローガンにしているはず。排除の論理は市民の意思を反映していない。

■三浦仁士(作業所職員/大学院生/足立区在住)
 三鷹駅前コミュニティーセンター料理講習室使用拒否問題は、「夜まわり三鷹」が「野宿者支援団体とわかった」ということから始まった。三鷹市は、この発言を注視すべきだろう。何もその発言のみを取り上げ管理運営団体を指弾したいのではない。この問題の根っこにあることを明らかにし真摯に話し合わない限り、管理運営団体は如何様にも利用拒否の理由をつけてくるからである。公共施設の使用資格に対し、管理運営団体が恣意的な判断理由で欠格をつくることがあってはならないはずだ。三鷹市は、それを承知で委託したのではないのか。この問題が起こって以来、すでに半年以上が経過しているのに、何の進展もみられないのは、市の怠慢ではないか。三鷹市は公共施設の使用拒否によって不利益を受けているのは、誰なのか、どこなのか、しっかりと認識すべきである。
 青少年が、ホームレスに暴行し殺害するという事件が報道される。こうした残忍さは子供達の心にだけ突然芽生えたものなのですか?大人たちの差別や偏見が子供達の心に転化したのではないですか。

■攝津正(あらゆるアソシエーショニストのための広場編集/芸音ホール代表/船橋市在住)
 野宿者排除に反対します。

■田中雅子(ネパール在住)
 行政側の速やかな事態の収拾を求めるとともに、共に生きるための活動を応援します。

■竹林隆(大阪教育合同労働組合書記長) 公表可
 大阪では今年になって、長年住んでいた野宿労働者たちが公園から暴力的に叩き出されるという事態が起きました。三鷹でのこの動きも、根底に、地域から野宿者を締め出そうという差別と排除の構造の一環に他なりません。こんな差別は許せません。

■金靖郎(団体職員、神奈川県在住)
 こんなひどいことが許されてはなりません。差別排外主義以外のなにものでもありません。地域社会には様々な人がいるのが当たり前だし、多様性を認めない、排除する社会に未来はないです。共に声を上げたいと思います。

■齋藤星耕(大学院生・京都)
 理解しようという姿勢のない側が、立場の弱い人々に対して「相互理解」を要求するというのは一体どういうことでしょうか。野宿者と支援者が一方的に排除されることで保たれる「信頼関係」とはなんなのでしょうか。言葉とその中身のあまりの乖離に、同じ人間なのにどうしてこうなのかと腹立たしく、悲しくなります。それでも、丁寧な話し合いのプロセスを踏んできた夜まわり三鷹のみなさまの努力と忍耐に頭が下がる思いがします。私は何も出来ませんが、要望書に名前を連ねさせていただきたく思います。

■竹内彰一(向日葵同盟)
 居宅住民の選民意識が事件を起こしている。このような差別意識は、行政の教育的指導によって、なくしていかなければならないでしょう。
 日本国は、憲法の博愛と平等の精神に則って運営されるものであるから、三鷹市行政の姿勢は間違っているし、三鷹駅周辺住民協議会は、公共施設の管理・使用には相応しくない団体であると言える。

■藤井克彦(ソーシャルワーカー
 規則を守ると行っている団体の使用を認めないことは全く理解できません。
 使用を認めない理由が次々に変わっているのは、それらに正当な根拠がなく、差別に基づいたものであることを示しています。
 早く使用を認めるべきです。

■津村洋(海外派兵をやめろ!戦争抵抗者の会)
 公共の施設はみなが利用するためにあり、いかなる選別や排除も許されない。

■二見孝一(みどりのテーブル・くまもと)
 三鷹市の対応は明らかな人権侵害です。
 明確な理由なしに公共施設の使用を許可しないのは、市長の人権意識の欠如としかいいようがありません。
 野宿者支援団体のコミュニティセンター利用については、拒否すべきではありません。
人が人として生きられる三鷹市となってください。

■だるま森+えりこ(ハルオン楽舎=人形芝居・絵本・楽器・お教室、三鷹市在住)
 どうして皆さん、
 御自分がいつ同じような立場=何らかの難民=に追い込まれるか
 わからないではありませんか?

 その時貴方は見捨てられても良いのですか?

 なんて冷たい社会でしょうか。

 人の痛みを想像する感性に欠ける仕業ですね。
 平和を宣言する地方都市三鷹に矛盾する行為ですね。
 平和は野宿者のような弱者以外に保障されるのでしょうか?
 そのような明記はどこにもありませんし、
 弱者差別は子どもの教育と成長を、最も阻むものだと思います。
 文書にしないことも、筋の通らない、大変矛盾した行為だと思います。
   
 そのような差別は、子どもたちに対しても、
 恥ずかしくありませんか?

 助けて上げられる立場の時は助けてあげましょうよ!
 そして自分が困ったら、助けてもらいましょうよ!

 勝ち組負け組の価値観で、本当に貴方は大丈夫ですか?
 そんな価値観が、益々世の中を住み難いものにして、挙句は、子どもたちが安心して育ち難い、地域性に欠ける社会を強固に構築して行く。

 知り合い同士、利害の一致する者同士だけを守り合う社会は空しくありませんか?
 それは憎しみや逆恨みを見出し易い環境を助長します。
 であれば、それに対抗し身を守る為に、
 いつかこの日本は、
 アメリカのように皆が武器を容認する社会になってしまうのではと危惧します。
 
 団体は、調理室を清潔に保つと宣言しています。
 その指導のみをすれば良いだけのことではないでしょうか?
 そうやって直接コミュニケーションして頂けば、
 お互い理解を深め合うチャンスにもなりますし。

 相互理解を望みます。
 少なくとも、団体側は望んでいます。
 どうか一度先入観を捨てて、同じ席に御付きになって下さいませんか。
 そこから始めようではありませんか。

佐久間誠国労闘争団、鉄建公団訴訟原告団事務局長)
 憲法25条では、国民は等しく健康で文化的な生活を営むことができることを保障している。野宿者支援団体の「夜まわり三鷹」の活動は、野宿者の自立支援活動をサポートするものであり、公共の設備をそうしたことに役立てることに、何の異をはさむ余地があろうか?
 本来、三鷹市が、放置されている野宿者に対し、行政主導でもっと援助し手を差し伸べる主体とならなければならないものである。
 「夜まわり三鷹」に対して、三鷹駅前コミュニティセンター料理講習室の使用を拒否せず、認可するよう求めます。

■中桐康介(長居公園仲間の会)
 「三鷹市の野宿者差別は許せないことです。地域は離れていても、けっして他人ごととは思えません。野宿者であれ何者であれ、ひとりの人間として尊重される社会を築くため、三鷹市の努力を求めます。
 三鷹駅周辺住民協議会は「住民登録をしていない野宿者は市民ではない」として、野宿者の市民としての権利を否定しています。ですが、野宿者が住民登録をできないのは制度の運用の誤りによるものです。税金を納めることも、年金を受け取ることも、図書館で本を借りることもできないのは、野宿者個人の責任ではなく、行政におおきな責任があります。
 三鷹駅周辺住民協議会はまず、制度の上での差別・社会的排除をすすめるような言動をあらためるべきです。また三鷹市は、このような地域住民の差別を生み出しているのは三鷹市であり、その責任は重大だということを知るべきです。そして野宿者への差別や偏見をなくしていくための努力を、野宿当事者や支援者と協同しながらすすめることを求めます。それを三鷹駅前コミュニティセンター料理講習室の使用を認めることから始めてください。」

■小田原 琳(調布市在住)
 国や県など予算規模の大きな自治体と異なり、市町村レベルで野宿者問題に対応するにあたっては、市民団体との協力が不可欠と思われます。野宿者の社会復帰を積極的に支援する活動の一環である「夜まわり三鷹」の料理&食事会に、曖昧な理由で公共施設の利用を拒否することは、野宿者問題への取り組みの努力の否定であり、野宿者の人権の軽視です。三鷹市は野宿者支援団体によるコミュニティセンターの使用申請を即刻受理し、多摩地域にあって人権問題に積極的に取り組む自治体であってほしいと思います。

■甘糟智子(小金井市在住)
 状況を読むとあまりにもコメントが色々浮かぶのですが、
(1)セクシストな発言であることを承知であえて書くと、歴史的に社会的弱者である女性性であるにも関わらず、清原市長にはそんな自覚さえまったくないようで、「弱者に優しい豊かな社会づくり」どころか、「弱者排除の地域づくり」とはなんぞや、と呆れます。同じ女性として、他人の立場に鈍感な女性が自治体長をされていることに驚きと悲しさを感じます。
(2)寝袋が汚いなどというケチをつけるならば、自力で新しい寝袋を調達できない人たちのために、無償クリーニングサービスを提供する、新しい寝袋を調達する、野宿者の人が通所して生活まわりのことをできる場所を提供する、などするのが現代の「豊かな行政」や「豊かな地域社会」の「役割」ではないですか。三鷹駅周辺住協の方々や清原市長は、ご自分たちは野宿者や障がい者になることなど絶対にありえない、ご自分たちは野宿者の人たちとは「人間の種類が違う」などと考えておられませんか。行政や住協、施設の担当者の方々の回答のはしばしにそうした「差別感」のあらわれを感じます。戦後日本が培ってきた「人間はみな平等である」という普遍的価値観とは真反対の線引き・差別教育さえ、三鷹市ではされるのではないかと危惧します。
(3)”三鷹駅周辺住協は「住民基本台帳に登録していない人は三鷹市民ではない。そのような人の使用を認めれば、コミュニティが崩壊する」”−という見解も驚きます。公共施設で開催するイベントや集まりやお祭りには、住民基本台帳に記載している三鷹市民しか参加できないのですか? 公共施設には、HPなどでの呼びかけはおろか、遠くの親戚や友人さえも呼べないのですか。「閉じこもりコミュニティ」は、周りとのつながりや共感を失い、もっと大きな社会や時代と切り離された、偏狭な地域社会になりがちです。近隣の市にそうした偏狭なコミュニティにはなってもらいたくありません。

■長谷川みちこ(図書館員/反戦路上文庫)
 夜回り三鷹だけが、はっきりした理由を告げられずに公共の施設を利用できないのであれば、それは明らかな野宿者差別で人権侵害だと思います。
 野宿者に対する偏見の多くは、野宿を自己責任の範囲でしか扱わない、野宿者を犯罪者もしくは犯罪予備軍とみなすなどです。そういった無知に起因する差別は一般市民と野宿者の接点が少なく、一般市民側が野宿者の困難を理解する機会が極端に少ないせいでなかなか解消されないのかもしれませんが、三鷹コミュニティセンターの調理室を共有することが、ディスコミュニケーションを回復する場になり得たと思うと、今回のように野宿者が抱える問題を野宿者自身の問題と片付ける偏見に基づいて、調理室が利用できなくなっているは本当に残念でなりません。
 すみやかに、調理室の使用を再開させてください。
 公共施設から締め出すことでは何の解決にもなりません。

■岩田圭司(社会福祉士
 一方的かつ明確な理由も示さないこのような閉め出しは、「野宿者イコール不衛生」という偏見に基づくものとの疑いを免れず、また野宿者を地域社会のメンバーシップから排除しようとする姿勢の、露骨な体現だと言わざるを得ません。
 施設管理団体である三鷹駅周辺住民協議会は、十分な話し合z に応じた上、施設の利用を認めてください。また三鷹市は、手をこまねいていることなく、重大な人権問題として同協議会を指導してください。

■谷島光治(三鷹市在住)
 清原市長をはじめ、三鷹の市政を担当する人たちは、「市民に対して開かれた民主的な市政」を標榜していますが、実際は今の市政の方向を支持し、協力する市民だけを尊重し、その他の市民を切り捨てている事に気づいていません。今回の問題もその一つのあらわれです。

■池田亜希子(元TBSラジオ 954情報キャスター、江戸川区西葛西在住)
 取材をさせていただいたことがありますが、皆さん楽しく活動されていました。
 地域の主婦たちが教室を借りて料理教室などを開くのとなんら違いはありません。
 始まったばかりのこの活動の芽を摘まないで欲しいと思っています。

■菊地謙(協同総合研究所)
 たとえ管理を委託されている住民団体であったとしても、法律や条例によらず一部の人々によって公共施設の使用が恣意的に許可されないということがあるとすれば、それはもはや「公共」の「私物化」です。ましてや、野宿者の支援団体だけを狙い撃ち的に拒否するのであれば、まさに「差別」と批判されても仕方のないものと思います。すみやかに使用をを認めるよう三鷹市に要望します。

■齊藤幹(愛知県司法書士会)
 田舎ならともかく、東京の三鷹でもこんな事があるなんて驚きです。
 ニートは問題になっても、ホームレス関係はなかなか問題視されないなぁと思っています。
 今回の問題も含め、日本の中では人権に関する意識が非常に薄いと考えています。
 原因は、法律家が少ないことと、泣き寝入りする人が多いこと。
 裁判例も消極例が多い気がします。
 これを変えて行かなければいけないですね。

■出口綾子(寿支援者交流会/書籍編集者)
 事実経過を読み、とても悲しくなりました。いまだにこんなレベルのことを言ってくる行政があるのかと思うと。こういうことの積み重ねが、社会を暗くしていくのです。市長みずからが排除の論理を率先しているのですから、三鷹に住んでいる人は、ほんとうには幸せにはなれませんね。

■山崎克明(北九州大学名誉教授/北九州NPO研究交流会代表)
 憲法、ホームレス自立支援法の精神からも、野宿者の人格の尊厳性(人権)を認めないことに通じるいかなる行政措置も認めるわけには行きません。地域住民の御理解を切に祈ります。

■ 匿名希望
 市民が公共施設を利用しながら交流を深めることは昔からある「行政と市民とのパートナーシップ」の重要な一形態です。それを市長自ら否定されることは許されるはずがありません。

■真木田史緒(三鷹市在住)
 住民協議会は自分たちが公共施設を私物化しているとしか見られないのだと知るべきでしょう。市側も公共とは何かを住協に示すべきです。

■山口文和(三鷹市在住)
 差別・偏見を無くすことに努めなければならない行政としての責務を放棄することは許されません。直ちに使用を許可した上で、野宿生活者に対する差別を無くすべく啓発活動に取り組むよう要望します。

■菊地謙(協同総合研究所)
メッセージ:たとえ管理を委託されている住民団体であったとしても、法律や条例によらず一部の人々によって公共施設の使用が恣意的に許可されないということがあるとすれば、それはもはや「公共」の「私物化」です。ましてや、野宿者の支援団体だけを狙い撃ち的に拒否するのであれば、まさに「差別」と批判されても仕方のないものと思います。すみやかに使用をを認めるよう三鷹市に要望します。

■岩橋誠治(出会いを求める一般市民)
 今回毎日新聞を読んで、家族一同驚きと怒りを覚えています。
 そもそもコミセンは地域のコミュニティーセンターとして出会いを求める場です。
 出会いとは何でしょうか?同じ地域に住む人との出会いもあるでしょう。地域の様々な課題とであうこともあれば、異文化交流・マイノリティーとの人たちとの出会いもあると思います。
 コミセンに行けば、様々な人が様々な関心を持って生き生きと暮らしていることを感じ、例え自らが個々の会に参加しなくても、いろんな人がいろんなことをやっているそのエネルギーを感じ取れる場だと思っています。
 新しい人との出会いや出来事に出会える場のコミセンがあることで、自らの見識を広げ主体的な生活を送るきっかけをコミセンがいつも与えてくれている思っています。
 しかし、今回の出来事はその出会いを閉ざしてしまう出来事です。
三鷹市は、自分たちの許容範囲の中だけでの出会いを保障する場としてコミセンを作っていたのかと思うと、そんなコミセンにワクワクしていた自分が情けなく思うのと同時に、知らないところで出会えなくさせていた三鷹市に怒りを覚えます。
 「野宿者は汚い」というのは、主観的で相対的なものですから、そのような感覚を持つ人がいること自体は(悲しいけど)否定できません。
 でも、それは決して排除されるものではなく、そう思うなら逆に出会うことで新たな思いや関係が生まれてくると思います。
 私の町も新しくできた町なので、野宿する人を見かけることはありません。でも、全国にはそのよう暮らしをしている人がたくさんいることを知ると、その人たちに出会いたくなり、遠くの町まで出掛けて言ったこともあります。
 その出会いは、スポット的でお互いの日常空間を共有しない出会いでしかなく、遠くへ出掛ける事が負担となり最近は残念ながらその機会を逸しています。
 でも、今回三鷹でこのような取り組みを行っている団体があることを知り、コミセンを通じて、日常的に出会える場が存在していることをうれしく思いました。
 だから、決して排除するのではなくて出会いの場であるコミセンが率先して地域の人たちとの出会いを求めていって欲しいと願っています。

■秋本陽子(翻訳業/中野区在住)
「これは野宿者の社会復帰を応援するためのささやかな試みです。
それなのに、公共施設を貸さないなんて、なんてひどい自治体なのでしょう。」

■山口弘宣(三鷹市下連雀在住)
 三鷹市は共働をスローガンにしているはず。排除の論理は市民の意思を反映していない。

■三浦仁士(作業所職員/大学院生/足立区在住)
 三鷹駅前コミュニティーセンター料理講習室使用拒否問題は、「夜まわり三鷹」が「野宿者支援団体とわかった」ということから始まった。三鷹市は、この発言を注視すべきだろう。何もその発言のみを取り上げ管理運営団体を指弾したいのではない。この問題の根っこにあることを明らかにし真摯に話し合わない限り、管理運営団体は如何様にも利用拒否の理由をつけてくるからである。公共施設の使用資格に対し、管理運営団体が恣意的な判断理由で欠格をつくることがあってはならないはずだ。三鷹市は、それを承知で委託したのではないのか。この問題が起こって以来、すでに半年以上が経過しているのに、何の進展もみられないのは、市の怠慢ではないか。三鷹市は公共施設の使用拒否によって不利益を受けているのは、誰なのか、どこなのか、しっかりと認識すべきである。
 青少年が、ホームレスに暴行し殺害するという事件が報道される。こうした残忍さは子供達の心にだけ突然芽生えたものなのですか?大人たちの差別や偏見が子供達の心に転化したのではないですか。

■攝津正(あらゆるアソシエーショニストのための広場編集/芸音ホール代表/船橋市在住)
 野宿者排除に反対します。

■田中雅子(ネパール在住)
 行政側の速やかな事態の収拾を求めるとともに、共に生きるための活動を応援します。

■竹林隆(大阪教育合同労働組合書記長) 公表可
 大阪では今年になって、長年住んでいた野宿労働者たちが公園から暴力的に叩き出されるという事態が起きました。三鷹でのこの動きも、根底に、地域から野宿者を締め出そうという差別と排除の構造の一環に他なりません。こんな差別は許せません。

■金靖郎(団体職員、神奈川県在住)
 こんなひどいことが許されてはなりません。差別排外主義以外のなにものでもありません。地域社会には様々な人がいるのが当たり前だし、多様性を認めない、排除する社会に未来はないです。共に声を上げたいと思います。

■齋藤星耕(大学院生・京都)
 理解しようという姿勢のない側が、立場の弱い人々に対して「相互理解」を要求するというのは一体どういうことでしょうか。野宿者と支援者が一方的に排除されることで保たれる「信頼関係」とはなんなのでしょうか。言葉とその中身のあまりの乖離に、同じ人間なのにどうしてこうなのかと腹立たしく、悲しくなります。それでも、丁寧な話し合いのプロセスを踏んできた夜まわり三鷹のみなさまの努力と忍耐に頭が下がる思いがします。私は何も出来ませんが、要望書に名前を連ねさせていただきたく思います。

■竹内彰一(向日葵同盟)
 居宅住民の選民意識が事件を起こしている。このような差別意識は、行政の教育的指導によって、なくしていかなければならないでしょう。
 日本国は、憲法の博愛と平等の精神に則って運営されるものであるから、三鷹市行政の姿勢は間違っているし、三鷹駅周辺住民協議会は、公共施設の管理・使用には相応しくない団体であると言える。

■藤井克彦(ソーシャルワーカー
 規則を守ると行っている団体の使用を認めないことは全く理解できません。
 使用を認めない理由が次々に変わっているのは、それらに正当な根拠がなく、差別に基づいたものであることを示しています。
 早く使用を認めるべきです。

■津村洋(海外派兵をやめろ!戦争抵抗者の会)
 公共の施設はみなが利用するためにあり、いかなる選別や排除も許されない。

■二見孝一(みどりのテーブル・くまもと)
 三鷹市の対応は明らかな人権侵害です。
 明確な理由なしに公共施設の使用を許可しないのは、市長の人権意識の欠如としかいいようがありません。
 野宿者支援団体のコミュニティセンター利用については、拒否すべきではありません。
人が人として生きられる三鷹市となってください。

■だるま森+えりこ(ハルオン楽舎=人形芝居・絵本・楽器・お教室、三鷹市在住)
 どうして皆さん、
 御自分がいつ同じような立場=何らかの難民=に追い込まれるか
 わからないではありませんか?

 その時貴方は見捨てられても良いのですか?

 なんて冷たい社会でしょうか。

 人の痛みを想像する感性に欠ける仕業ですね。
 平和を宣言する地方都市三鷹に矛盾する行為ですね。
 平和は野宿者のような弱者以外に保障されるのでしょうか?
 そのような明記はどこにもありませんし、
 弱者差別は子どもの教育と成長を、最も阻むものだと思います。
 文書にしないことも、筋の通らない、大変矛盾した行為だと思います。
   
 そのような差別は、子どもたちに対しても、
 恥ずかしくありませんか?

 助けて上げられる立場の時は助けてあげましょうよ!
 そして自分が困ったら、助けてもらいましょうよ!

 勝ち組負け組の価値観で、本当に貴方は大丈夫ですか?
 そんな価値観が、益々世の中を住み難いものにして、挙句は、子どもたちが安心して育ち難い、地域性に欠ける社会を強固に構築して行く。

 知り合い同士、利害の一致する者同士だけを守り合う社会は空しくありませんか?
 それは憎しみや逆恨みを見出し易い環境を助長します。
 であれば、それに対抗し身を守る為に、
 いつかこの日本は、
 アメリカのように皆が武器を容認する社会になってしまうのではと危惧します。
 
 団体は、調理室を清潔に保つと宣言しています。
 その指導のみをすれば良いだけのことではないでしょうか?
 そうやって直接コミュニケーションして頂けば、
 お互い理解を深め合うチャンスにもなりますし。

 相互理解を望みます。
 少なくとも、団体側は望んでいます。
 どうか一度先入観を捨てて、同じ席に御付きになって下さいませんか。
 そこから始めようではありませんか。

佐久間誠国労闘争団、鉄建公団訴訟原告団事務局長)
 憲法25条では、国民は等しく健康で文化的な生活を営むことができることを保障している。野宿者支援団体の「夜まわり三鷹」の活動は、野宿者の自立支援活動をサポートするものであり、公共の設備をそうしたことに役立てることに、何の異をはさむ余地があろうか?
 本来、三鷹市が、放置されている野宿者に対し、行政主導でもっと援助し手を差し伸べる主体とならなければならないものである。
 「夜まわり三鷹」に対して、三鷹駅前コミュニティセンター料理講習室の使用を拒否せず、認可するよう求めます。

■中桐康介(長居公園仲間の会)
 「三鷹市の野宿者差別は許せないことです。地域は離れていても、けっして他人ごととは思えません。野宿者であれ何者であれ、ひとりの人間として尊重される社会を築くため、三鷹市の努力を求めます。
 三鷹駅周辺住民協議会は「住民登録をしていない野宿者は市民ではない」として、野宿者の市民としての権利を否定しています。ですが、野宿者が住民登録をできないのは制度の運用の誤りによるものです。税金を納めることも、年金を受け取ることも、図書館で本を借りることもできないのは、野宿者個人の責任ではなく、行政におおきな責任があります。
 三鷹駅周辺住民協議会はまず、制度の上での差別・社会的排除をすすめるような言動をあらためるべきです。また三鷹市は、このような地域住民の差別を生み出しているのは三鷹市であり、その責任は重大だということを知るべきです。そして野宿者への差別や偏見をなくしていくための努力を、野宿当事者や支援者と協同しながらすすめることを求めます。それを三鷹駅前コミュニティセンター料理講習室の使用を認めることから始めてください。」

■小田原 琳(調布市在住)
 国や県など予算規模の大きな自治体と異なり、市町村レベルで野宿者問題に対応するにあたっては、市民団体との協力が不可欠と思われます。野宿者の社会復帰を積極的に支援する活動の一環である「夜まわり三鷹」の料理&食事会に、曖昧な理由で公共施設の利用を拒否することは、野宿者問題への取り組みの努力の否定であり、野宿者の人権の軽視です。三鷹市は野宿者支援団体によるコミュニティセンターの使用申請を即刻受理し、多摩地域にあって人権問題に積極的に取り組む自治体であってほしいと思います。

■甘糟智子(小金井市在住)
 状況を読むとあまりにもコメントが色々浮かぶのですが、
(1)セクシストな発言であることを承知であえて書くと、歴史的に社会的弱者である女性性であるにも関わらず、清原市長にはそんな自覚さえまったくないようで、「弱者に優しい豊かな社会づくり」どころか、「弱者排除の地域づくり」とはなんぞや、と呆れます。同じ女性として、他人の立場に鈍感な女性が自治体長をされていることに驚きと悲しさを感じます。
(2)寝袋が汚いなどというケチをつけるならば、自力で新しい寝袋を調達できない人たちのために、無償クリーニングサービスを提供する、新しい寝袋を調達する、野宿者の人が通所して生活まわりのことをできる場所を提供する、などするのが現代の「豊かな行政」や「豊かな地域社会」の「役割」ではないですか。三鷹駅周辺住協の方々や清原市長は、ご自分たちは野宿者や障がい者になることなど絶対にありえない、ご自分たちは野宿者の人たちとは「人間の種類が違う」などと考えておられませんか。行政や住協、施設の担当者の方々の回答のはしばしにそうした「差別感」のあらわれを感じます。戦後日本が培ってきた「人間はみな平等である」という普遍的価値観とは真反対の線引き・差別教育さえ、三鷹市ではされるのではないかと危惧します。
(3)”三鷹駅周辺住協は「住民基本台帳に登録していない人は三鷹市民ではない。そのような人の使用を認めれば、コミュニティが崩壊する」”−という見解も驚きます。公共施設で開催するイベントや集まりやお祭りには、住民基本台帳に記載している三鷹市民しか参加できないのですか? 公共施設には、HPなどでの呼びかけはおろか、遠くの親戚や友人さえも呼べないのですか。「閉じこもりコミュニティ」は、周りとのつながりや共感を失い、もっと大きな社会や時代と切り離された、偏狭な地域社会になりがちです。近隣の市にそうした偏狭なコミュニティにはなってもらいたくありません。

■長谷川みちこ(図書館員/反戦路上文庫)
 夜回り三鷹だけが、はっきりした理由を告げられずに公共の施設を利用できないのであれば、それは明らかな野宿者差別で人権侵害だと思います。
 野宿者に対する偏見の多くは、野宿を自己責任の範囲でしか扱わない、野宿者を犯罪者もしくは犯罪予備軍とみなすなどです。そういった無知に起因する差別は一般市民と野宿者の接点が少なく、一般市民側が野宿者の困難を理解する機会が極端に少ないせいでなかなか解消されないのかもしれませんが、三鷹コミュニティセンターの調理室を共有することが、ディスコミュニケーションを回復する場になり得たと思うと、今回のように野宿者が抱える問題を野宿者自身の問題と片付ける偏見に基づいて、調理室が利用できなくなっているは本当に残念でなりません。
 すみやかに、調理室の使用を再開させてください。
 公共施設から締め出すことでは何の解決にもなりません。

■岩田圭司(社会福祉士
 一方的かつ明確な理由も示さないこのような閉め出しは、「野宿者イコール不衛生」という偏見に基づくものとの疑いを免れず、また野宿者を地域社会のメンバーシップから排除しようとする姿勢の、露骨な体現だと言わざるを得ません。
 施設管理団体である三鷹駅周辺住民協議会は、十分な話し合z に応じた上、施設の利用を認めてください。また三鷹市は、手をこまねいていることなく、重大な人権問題として同協議会を指導してください。

■谷島光治(三鷹市在住)
 清原市長をはじめ、三鷹の市政を担当する人たちは、「市民に対して開かれた民主的な市政」を標榜していますが、実際は今の市政の方向を支持し、協力する市民だけを尊重し、その他の市民を切り捨てている事に気づいていません。今回の問題もその一つのあらわれです。

■池田亜希子(元TBSラジオ 954情報キャスター、江戸川区西葛西在住)
 取材をさせていただいたことがありますが、皆さん楽しく活動されていました。
 地域の主婦たちが教室を借りて料理教室などを開くのとなんら違いはありません。
 始まったばかりのこの活動の芽を摘まないで欲しいと思っています。

■菊地謙(協同総合研究所)
 たとえ管理を委託されている住民団体であったとしても、法律や条例によらず一部の人々によって公共施設の使用が恣意的に許可されないということがあるとすれば、それはもはや「公共」の「私物化」です。ましてや、野宿者の支援団体だけを狙い撃ち的に拒否するのであれば、まさに「差別」と批判されても仕方のないものと思います。すみやかに使用をを認めるよう三鷹市に要望します。

■齊藤幹(愛知県司法書士会)
 田舎ならともかく、東京の三鷹でもこんな事があるなんて驚きです。
 ニートは問題になっても、ホームレス関係はなかなか問題視されないなぁと思っています。
 今回の問題も含め、日本の中では人権に関する意識が非常に薄いと考えています。
 原因は、法律家が少ないことと、泣き寝入りする人が多いこと。
 裁判例も消極例が多い気がします。
 これを変えて行かなければいけないですね。

■出口綾子(寿支援者交流会/書籍編集者)
 事実経過を読み、とても悲しくなりました。いまだにこんなレベルのことを言ってくる行政があるのかと思うと。こういうことの積み重ねが、社会を暗くしていくのです。市長みずからが排除の論理を率先しているのですから、三鷹に住んでいる人は、ほんとうには幸せにはなれませんね。

■山崎克明(北九州大学名誉教授/北九州NPO研究交流会代表)
 憲法、ホームレス自立支援法の精神からも、野宿者の人格の尊厳性(人権)を認めないことに通じるいかなる行政措置も認めるわけには行きません。地域住民の御理解を切に祈ります。

■ 匿名希望
 市民が公共施設を利用しながら交流を深めることは昔からある「行政と市民とのパートナーシップ」の重要な一形態です。それを市長自ら否定されることは許されるはずがありません。

■真木田史緒(三鷹市在住)
 住民協議会は自分たちが公共施設を私物化しているとしか見られないのだと知るべきでしょう。市側も公共とは何かを住協に示すべきです。

■山口文和(三鷹市在住)
 差別・偏見を無くすことに努めなければならない行政としての責務を放棄することは許されません。直ちに使用を許可した上で、野宿生活者に対する差別を無くすべく啓発活動に取り組むよう要望します。

■菊地謙(協同総合研究所)
メッセージ:たとえ管理を委託されている住民団体であったとしても、法律や条例によらず一部の人々によって公共施設の使用が恣意的に許可されないということがあるとすれば、それはもはや「公共」の「私物化」です。ましてや、野宿者の支援団体だけを狙い撃ち的に拒否するのであれば、まさに「差別」と批判されても仕方のないものと思います。すみやかに使用をを認めるよう三鷹市に要望します。

■岩橋誠治(出会いを求める一般市民)
 今回毎日新聞を読んで、家族一同驚きと怒りを覚えています。
 そもそもコミセンは地域のコミュニティーセンターとして出会いを求める場です。
 出会いとは何でしょうか?同じ地域に住む人との出会いもあるでしょう。地域の様々な課題とであうこともあれば、異文化交流・マイノリティーとの人たちとの出会いもあると思います。
 コミセンに行けば、様々な人が様々な関心を持って生き生きと暮らしていることを感じ、例え自らが個々の会に参加しなくても、いろんな人がいろんなことをやっているそのエネルギーを感じ取れる場だと思っています。
 新しい人との出会いや出来事に出会える場のコミセンがあることで、自らの見識を広げ主体的な生活を送るきっかけをコミセンがいつも与えてくれている思っています。
 しかし、今回の出来事はその出会いを閉ざしてしまう出来事です。
三鷹市は、自分たちの許容範囲の中だけでの出会いを保障する場としてコミセンを作っていたのかと思うと、そんなコミセンにワクワクしていた自分が情けなく思うのと同時に、知らないところで出会えなくさせていた三鷹市に怒りを覚えます。
 「野宿者は汚い」というのは、主観的で相対的なものですから、そのような感覚を持つ人がいること自体は(悲しいけど)否定できません。
 でも、それは決して排除されるものではなく、そう思うなら逆に出会うことで新たな思いや関係が生まれてくると思います。
 私の町も新しくできた町なので、野宿する人を見かけることはありません。でも、全国にはそのよう暮らしをしている人がたくさんいることを知ると、その人たちに出会いたくなり、遠くの町まで出掛けて言ったこともあります。
 その出会いは、スポット的でお互いの日常空間を共有しない出会いでしかなく、遠くへ出掛ける事が負担となり最近は残念ながらその機会を逸しています。
 でも、今回三鷹でこのような取り組みを行っている団体があることを知り、コミセンを通じて、日常的に出会える場が存在していることをうれしく思いました。
 だから、決して排除するのではなくて出会いの場であるコミセンが率先して地域の人たちとの出会いを求めていって欲しいと願っています。

■秋本陽子(翻訳業/中野区在住)
「これは野宿者の社会復帰を応援するためのささやかな試みです。
それなのに、公共施設を貸さないなんて、なんてひどい自治体なのでしょう。」

■山口弘宣(三鷹市下連雀在住)
 三鷹市は共働をスローガンにしているはず。排除の論理は市民の意思を反映していない。