清原・三鷹市長へのメッセージ 3

■山田久仁子(ピナツボ復興むさしのネット)
 三鷹市は「住協」をきちんと「啓発」するべきだったのです。
 それは「差別である」と。話し合いで「差別」を 自覚させられなかったのは、市の力不足を物語っています。
 「話し合い」の問題ではないのです!


■綿貫透(千葉県柏市役所関連団体・労働者)
 野宿労働者と支援労働者を外見が「きれいでない」ことをりゆうに、しかもそれさえも根拠もなくただ、感情で拒否するという行為は差別をあおり、明白な人権侵害!しかも三鷹市は立派な差別者だ。この公民館を受注している官製ボランテイア団体も同罪。
彼らは自分たちは「キレイでいたい」とでも思っているのか?
 栄養と健康状態が良くない労働者が多数存在していることにめをつむり、根拠のない差別をあおる団体の作る「高齢者給食」など偽善そのもの。
 高齢者や「障害」者や野宿労働者が飯も食えずに、仕事にもつけない状態の中で、本当に必要な生活と団結を保障するのが行政の役目。
 私は柏に勤めていますが、自治体労働者をホームレス排除などに動員するのであれば、私は拒否するし、みんなにもやめるように説得したい。
 野宿労働者は施しを受ける対象ではない。
炎天下生きている、ともに生きる仲間なのだ。
 かつかつの生活をしている「一般労働者」がおおいのだから、野宿労働者はなんら特別な存在ではない。


■二田水弘平(神奈川県平塚市在住)
 「夜まわり三鷹」がおやりになっていることは、日本の国民・市民が連帯して苦境にある同じ日本国民・市民である仲間を助けようとしている立派な福祉活動です。本来ならば、国家や自治体こそがしなければならない福祉事業のはずでしょう。そんな福祉事業に、そこの自治体住民ではないなどという理由で公共施設の利用を拒否するのであれば、三鷹市こそが日本国民・市民からその存在を否定されるでしょう。そうなると、困るのは三鷹市民でしょう。三鷹市民は市外では活動出来ないような精神的村八分になりますよ。それでも宜しいんでしょうか。清原慶子市長さん? 


■片山文惠 (三鷹市民)
 三鷹市が、野宿者支援団体「夜まわり三鷹」の三鷹駅前コミュニティセンター料理講習室の使用を拒否しているとのこと、速やかに使用を許可してください。
 コミュニティーセンターは市民が利用できる開かれた場であるはずです。
 公共の施設として利用するための指導をすることもなく、一方的な使用拒否は、あきらかな差別です。
 野宿者支援団体「夜まわり三鷹」が、三鷹駅前コミュニティセンター料理講習室の使用ができるように、「三鷹駅周辺住民協議会」を含めた三者での協議などきちんとした対応を求めます。


■奈浦なほ(フリーライター三鷹市在住)
 三鷹市民です。我が家には17歳、15歳、6歳の子どもがいます。井の頭公園で暮らすおじさんたちのことを知っています。駅前のコミセンも知っています。そして、自分たちの市長さんのことはもちろん知っています。市長さんがあのおじさんたちを「のけもの」にしていると知ったら、子どもたちはどう思うでしょうか。


■菊地謙(協同総合研究所)
 たとえ管理を委託されている住民団体であったとしても、法律や条例によらず一部の人々によって公共施設の使用が恣意的に許可されないということがあるとすれば、それはもはや「公共」の「私物化」です。ましてや、野宿者の支援団体だけを狙い撃ち的に拒否するのであれば、まさに「差別」と批判されても仕方のないものと思います。すみやかに使用をを認めるよう三鷹市に要望します。


■岩橋誠治(出会いを求める一般市民)
 今回毎日新聞を読んで、家族一同驚きと怒りを覚えています。
 そもそもコミセンは地域のコミュニティーセンターとして出会いを求める場です。
 出会いとは何でしょうか?同じ地域に住む人との出会いもあるでしょう。地域の様々な課題とであうこともあれば、異文化交流・マイノリティーとの人たちとの出会いもあると思います。
 コミセンに行けば、様々な人が様々な関心を持って生き生きと暮らしていることを感じ、例え自らが個々の会に参加しなくても、いろんな人がいろんなことをやっているそのエネルギーを感じ取れる場だと思っています。
 新しい人との出会いや出来事に出会える場のコミセンがあることで、自らの見識を広げ主体的な生活を送るきっかけをコミセンがいつも与えてくれている思っています。
 しかし、今回の出来事はその出会いを閉ざしてしまう出来事です。
三鷹市は、自分たちの許容範囲の中だけでの出会いを保障する場としてコミセンを作っていたのかと思うと、そんなコミセンにワクワクしていた自分が情けなく思うのと同時に、知らないところで出会えなくさせていた三鷹市に怒りを覚えます。
 「野宿者は汚い」というのは、主観的で相対的なものですから、そのような感覚を持つ人がいること自体は(悲しいけど)否定できません。
 でも、それは決して排除されるものではなく、そう思うなら逆に出会うことで新たな思いや関係が生まれてくると思います。
 私の町も新しくできた町なので、野宿する人を見かけることはありません。でも、全国にはそのよう暮らしをしている人がたくさんいることを知ると、その人たちに出会いたくなり、遠くの町まで出掛けて言ったこともあります。
 その出会いは、スポット的でお互いの日常空間を共有しない出会いでしかなく、遠くへ出掛ける事が負担となり最近は残念ながらその機会を逸しています。
 でも、今回三鷹でこのような取り組みを行っている団体があることを知り、コミセンを通じて、日常的に出会える場が存在していることをうれしく思いました。
 だから、決して排除するのではなくて出会いの場であるコミセンが率先して地域の人たちとの出会いを求めていって欲しいと願っています。


■秋本陽子(翻訳業/中野区在住)
 これは野宿者の社会復帰を応援するためのささやかな試みです。それなのに、公共施設を貸さないなんて、なんてひどい自治体なのでしょう。


■山口弘宣(三鷹市下連雀在住)
 三鷹市は共働をスローガンにしているはず。排除の論理は市民の意思を反映していない。


■芳井武志(大阪市、福祉団体職員)
 野宿者が自分たちの領域を侵すエイリアンだと思う人は、そもそも彼らが自分たちの属する社会の内なる人々であることにまず思い至るべきです。また、他者を規定して排除することは、自らをカテゴライズしてそこに引き篭もることにすぎないことを封建社会以来の歴史上で我々は知っているはずで、国際人権規約に批准する先進国を名乗るのであれば、そのことに恥を知るべきです。野宿せざるを得ない状況を生み出す社会のあり方から目をそむけず、彼らと隣人としてつきあってゆくことから問題に向き合ってゆくことを切に要望します。


■匿名希望
 経済的格差が広がり、社会的格差が固定化されようとしている今、このような市民活動が求められています。野宿労働者の取り組みを支援することは、このような格差を、市民自らの努力によって克服する上で重要なことです。
 それを許さない、ということは三鷹市長。あなたは、市民活動抜きでも、野宿労働者問題を解決する責任をとるという宣言だということです。当然、失敗すれば責任を取るということです。
 ただちに、使用を認めるべきです。
 今、社会参加の教育が現場レベルでも求められています。そして、行政の長として市長もその推進を推し進めていることでしょう。しかし、大人になってみたら、そのための「場」がない。しかも、そういうことをやる人たちは「弾圧」されている。
 この矛盾したメッセージから子どもたちが受け取ることは、<大人は嘘つきだ>です。今、子どもの問題がいろいろと言われていますが、まず大人の我々が、社会参加は正しく、それはどのような団体でも認められるということを認識し、襟を正さない限り、子どもたちは我々を信用しないでしょう。教育に対して責任を持つ市長としても、直ちに使用を認めるべきです。


■北村年子(フリージャーナリスト)
 野宿者に石を投げ、ロケット花火を打ち込み、排除し、暴行する子どもたちがなぜなくならないのか?なぜ「いじめ」が生まれつづけるのか。
 「大人たちは直接殺さないだけ」。子どもたちのやってることは大人たちの意識のまさに「映し鏡」です。
 「排除」ではなく「理解」と「尊重」を、まず大人が身をもって示してください。


■清野賢司(養護学校教員)
 市としての見識が問われます。ぜひともきちんとした解決に導いてください。


■高柳葉子(手芸家)
 人間はだれでも人間です。私も人間です。野宿者の方たちも人間です。どうして線引きをするのでしょうか?


■宮本恵(非正規雇用労働者)
 許せません。何故野宿になったのか、野宿しなければならないかという問題を無視し、そこにいるのが悪い、利用するのが悪いという追い出しは、ただ、汚いものや嫌なものをみたくない。資本主義のおかしさとひどさを隠したい、自分たちにとって隠しておかなければならないまずいものだから、追い出してしまおうという事だと思う。
 野宿労働者だって、何もしない、ただのおじさんとかおばさんとかじゃないですか、何故そういう人を排除しないとダメなのか、差別や偏見を煽りたて、邪魔者扱いするように扇動する必要があるんだ。
 今国会で様々な法案が提出されているが、全て弱いものイジメ、戦争への国づくり、のためだ。野宿労働者の追い出しも差別も、無縁ではない。始めから野宿労働者だって、野宿労働者ではなかった。ただの労働者だった。資本主義がうみだした労働問題のなかで、蹴落とされてきたり、競争しなかった人たちだ。誰かを蹴落とさないと普通に暮らしていけないなんてなんてひどい社会だ。野宿労働者が悪いわけじゃない。
 隅田川で、野宿のおじさんたちと仲良くさせてもらってます。公園整備、美化と言って、追い出しが何回も来ています。どこに行けというんだ。憲法では全ての国民に最低限の健康的で文化的な生活が保障されているのじゃないか、予算がないと言いながら、無駄な計画のお金はあるじゃないか。大企業は過去最高の利益を上げたじゃないか、なぜ労働者の給料は下げられる。税金は取られて、基地建設に使われる!
 すべてつながっていると思います。野宿だなんだろうと、権利があり、それを保障するのが行政、国。三鷹駅前コミュニティーセンターのやり方、三鷹市、センターの管理を任せれているという生協団体、全部間違っているし、違法だし、差別を広げ利用しようとしていると思う。僕たちは仲間です。仲間の差別は許せません。ともにがんばりましょう。

■モリピー(「自由論」読書会)
三鷹市は自らも行っている「ネットでの呼びかけ」を夜まわり三鷹にだけ問題視するのは道理が通らない。行政の野宿者差別は許されない。


■hentium
 三鷹市は恥を知れ